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「ほぼ500円均一」で坪月商100万円超! 上野アメ横『呑める魚屋 魚草』が売れまくる理由

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『呑める魚屋 魚草』店主の大橋磨州氏

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店舗の営業規模はわずか7坪(路上の客席スペースを含む)。二つの簡易式コの字型カウンターを店頭に設置し、一日で平日100人、週末180人を集客する繁盛立ち飲み酒場が東京・上野の『呑める魚屋 魚草』だ。

日中のみの営業でありながら1日30万円を売り、坪月商は100万円超という脅威の売上を叩き出す『魚草』の「売れまくる理由」を店主の大橋磨州氏に聞いた。

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アメ横は劇場空間。熱量に満ちた街で生きていくことを決意した

東京・上野のアメ横にある『呑める魚屋 魚草』はさまざまな点で異色の立ち飲み酒場だ。

まず立ち飲み酒場として業態ができあがった経緯そのものが面白い。「呑める魚屋」と銘打っているように、『魚草』はもともと鮮魚店として2013年9月に創業した。店頭で生牡蠣などを食べられるサービスをはじめたところ、それが話題に。さらに、お客の要望に沿う形で日本酒の提供などもスタート。創業から一年を過ぎた頃、今につながる立ち飲み酒場の下地ができあがったという。

間口4m足らずの店頭に簡易式のコの字型カウンターを設置する『魚草』。12時~19時30分の営業時間中は常にお客で賑わう

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店主である大橋磨州氏の経歴もユニークだ。慶應大学文学部を卒業後、東京大学大学院で文化人類学を専攻。だが、秀才たちに囲まれた環境に身を置く中で、大橋氏は「とても敵わない」と悟り、大学院を休学。それで勤め始めたのがアメ横の鮮魚店だった。かつて舞台役者を目指した時期があった大橋氏は、アメ横に惚れ込んだ理由をこう語る。

「年末年始のアメ横は劇場空間そのものでした。通りが買い物客で埋め尽くされ、鮮魚店の店員は声をからして魚を売り続ける。熱量に満ち満ちた街にハマり、ここで生きていきたいと考えるようになったんです」

そして、鮮魚店で6年間の勤務を経て独立、『魚草』を開業した。

東京大学大学院中退という異色の経歴を持つ大橋氏。劇場空間のようなアメ横の賑わいに惚れ込み、そこに自分の店を構えることを決意した

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真っ向勝負では勝てない。だから店頭で飲み食いできるようにした

ただ、「アメ横で生きていく」という大橋氏の思いとは裏腹に、当時のアメ横の鮮魚店は厳しい経営環境下にあった。「かつてのアメ横は買い出し目的のお客様で賑わっていましたが、その数は年々減り続け、それに比例するように鮮魚店の数も減る一方でした」(大橋氏)。

大橋氏自身も市場や産地などと強力なコネクションを持っていたわけではなく、鮮魚店として特別な強みを打ち出せるわけではなかった。そこで着想したのが、鮮魚店で販売する魚貝をその場で食べられるようにする営業スタイルだった。

「今でこそ、店頭で飲み食いできる店は珍しくありませんが、その頃はほとんど類似店がありませんでした。具体的にどんな営業スタイルにするのかを決めていたわけではありませんでしたが、その場で刺身を食べられる体験型の鮮魚店なら大きな差別化になると考え、鮮魚店の退職後に飲食店に勤務してノウハウを習得。また、営業許可も鮮魚店用と飲食店用の両方を取得し、状況に応じて営業スタイルを変えられるようにしました」

この大橋氏の狙いはズバリ的中した。当初は生牡蠣を一個200円で店頭販売していたが、その場で殻を剥くパフォーマンスが歩行者の目を引き、多い日は一日の出数が1,000個を超えた。その売上が鮮魚店としての販売を超えるようになったことから、徐々に立ち飲み酒場一本で勝負する形に変わっていったのである。

『魚草』の看板メニューである「本日の生かき」の価格は1個400円、3個1,000円。かつては1個200円という価格で1,000個以上を売る日もあった

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栗田利之

ライター: 栗田利之

フリーランスの記者として、15年以上にわたって外食経営誌の記事を執筆。大手、中堅の外食企業や話題の繁盛店などを取材してきた。埼玉県下を中心に店舗網を拡げている「ぎょうざの満洲」が贔屓の外食チェーン。