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1983年創業のしゃぶしゃぶ食べ放題業態のパイオニア。しゃぶ禅株式会社3代目代表・菅野雄介氏が父から引き継いだ「サービス業の真髄」とは
2024年06月21日
バブル期に一世を風靡したディスコ「マハラジャ」の創業者である菅野諒氏が1983年に立ち上げた『しゃぶ禅』。最高級の食材を使いながら、当時食べ放題3500円という驚異的なコストパフォーマンスが瞬く間に評判を呼び、専門店が皆無であったしゃぶしゃぶという業態を確立させた。現在は息子である菅野雄介氏が代表となり、変革と挑戦を続けている。父から受け継いだものは、次代へ継いでいくものは何なのか。とくと伺う。
1974年東京都目黒区生まれ。大学中退後に父・菅野諒氏が運営していたノヴァインターナショナルに入社。1999年に『しゃぶ禅 四谷店』をオープンし、FCオーナーとして独立。2010年代には、本部であるしゃぶ禅株式会社の業務にも携わるようになり、2017年に代表へと就任した。
目指すものがなかった学生時代。父に背中を押され、ノヴァインターナショナルに入社
―現在、お父様が立ち上げたしゃぶ禅株式会社を運営している菅野社長ですが、当初から会社を引き継ぐ意思があったのでしょうか?
菅野氏:正直なところ、会社は兄が継ぐだろうと考えていたので、自分が父の商売に携わることはないと思っていました。かと言って、私自身は特にやりたいこともなく、大学も留年することになる。その時、父から「ウチの会社で働きなさい」と背中を押され、『マハラジャ』などを運営していたノヴァインターナショナルに入社しました。きっと「このままではコイツは何者にもなれない」と心配してくれたのだと思います。
―ノヴァインターナショナルでは、どのようなお仕事を?
菅野氏:不動産管理部です。当時、バブルが弾けた後だったので、会社の負債となっている不動産を処理する仕事をしていました。一方、夜になったら『しゃぶ禅』の店舗に駆けつけ、皿洗いやホールなどをしていました。 不動産管理では、会社の内情を俯瞰で見て、『しゃぶ禅』では実際に現場がどのように回っているのかを知る。約3年間、休まずに働いていましたが、色々なことを吸収することができて、充実した毎日でした。
好調なスタートを切った独立開業。その後の挫折。浮き沈みを経験しながら経営の力を高める
―その後、菅野社長はFCオーナーとして『しゃぶ禅 四谷店』を開業します。
菅野氏:父に背中を押されたのがきっかけです。当時の『しゃぶ禅』は大型店ばかりで、四谷店は初めての小型店でした。そういった試験的な意味合いもありつつ、父としては「そろそろ自分でやりなさい」という気持ちがあったのだと思います。 初めての経営でわからないことだらけでしたが、「やるしかない!」という気持ちだけはありました。本部から優秀なスタッフを回してもらえて、人材に恵まれたのも大きかったですね。 オープン後の売上は30坪の店で平均1,200万円ととても良かった。次の年には同じビルの地下に焼肉としゃぶしゃぶ食べ放題の店舗を出して、それも好調でした。いい独立開業のスタートダッシュを切ることができたと思っています。
―その後、関西への出店をしていますね。
菅野氏:その頃、本社が大阪と京都でも店舗展開していたのですが、居酒屋にリニューアルしてみよう、という話が上がったんです。自店舗の調子が良かったこともあって受けたのですが、始めてみたら、ここはまったくうまくいかなかった。 関東と関西の2拠点で、経験したことがない居酒屋業態。全ての店舗に注力することができなかったことが敗因であることは、明白でした。1年後に撤退しましたが、ここで大きな負債を作ったのと、東京の2店舗もBSEで売上が落ちている状態だったのが重なり、4~5年は新規出店をせず、地固めに徹することになります。 父が亡くなったのもこの頃ですね。本社は叔父が代表を務めることになります。 ようやく状況が落ち着いたのが2007年。『しゃぶ禅 神楽坂店』をオープンし、四谷の店舗と合わせて3店舗を安定運営できるくらいに持ち直しました。
しゃぶ禅3代目の代表に就任。ひたすら人材教育に尽力し、会社の風土を再構築
―その後、本社であるしゃぶ禅株式会社を継ぐのが2017年ですが、どのような経緯がありましたか?
菅野氏:まず、2010年頃から自社の運営をしつつ、少しずつ本社の業務も携わるようになります。 当時の本社は地方を中心に業績が落ちて閉店・譲渡が相次ぎ、直営は7店舗に減少しているという状況でしたが、その原因は社内を見てすぐにわかりました。 とにかく、会社としての管理が全くできていないんです。数字管理がいいかげんだから、無駄な経費が利益を圧迫している。定例会議をしないから、コミュニケーションの量が圧倒的に少ない。人材教育をしていないから、出退勤の時間は守らないし、誰も注意をしない。正直、カルチャーショックを受けるほど。 この頃から、会社を引き継ぐだろう、という予感もあったので、まずはスタッフと交流して、人間関係を構築することに重きを置いていました。
―2017年に、満を持して代表就任。まずは何から改善をしましたか?
菅野氏:コミュニケーション不足の解消とマインドセット。それだけです。 とにかく、人材の課題が多かった。みんな自分のことだけを考えて、他者を尊重できていない。だから、ホールとキッチンの仲も悪いし、それが接客にも表れる。本部にはたくさんのクレームが寄せられているような状況でした。 売上や利益といった数字に関する課題は後回しでいい。経理などの実務的な業務は、私が勉強して改善する。それよりも、急ピッチで改善すべきは人材教育だと確信していました。
―具体的にはどのような改善を?
「サービス業とはなんたるか」と説いていました。 「単価10,000円のうち、5,000円は食材費。では、残りの5,000円は何か。それは『おもてなし』に対していただいているお金なのだ」。 これは父から口酸っぱく言われてきた言葉なのですが、まさに本質を突いている言葉だと思うんです。「おいしい」と言っていただくのは当たり前。むしろ、お客様から「ありがとう」と言っていただけるのが「サービス業」である。そのためには、「すみません」と、頼まれて作業を行うのではなく、求められているものを想像して、先んじて動かなければならない。 会議でも現場でも、こういったことを伝え続けていました。すると、徐々にクレームが減っていった。1年後には業績がしっかり上がった。やっぱりマインドなんです。スタッフ同士でも、お客様に対しても、相手に思いやりを持って行動すれば、結果はついてくるんです。
目指すは飲食業界一の働きやすい企業。ブレないマインドのまま、今、この瞬間を駆ける
―今後についてはどのように考えておられますか?
菅野氏:しゃぶ禅を「飲食業界で一番働きやすい企業」にしていきます。 残念ながら、飲食業界は労働環境が厳しいイメージがあり、不人気な業界です。けれども、飲食や接客が好きな人はいつでも一定数います。そういう人たちの地位を向上させたい。業界で一番給料が高く、休みが多く、働きやすい会社に。これは、独立前からずっと思っていたことです。
―お話を伺っていて、木の幹のようにブレない心意気を感じました。その不屈の精神は、どのようなマインドで生まれてくるのでしょうか?
菅野氏:基本的には、根底に目指すものがあれば気持ちがブレることはないと思います。そのうえで、「目的がわからない目標」は設定しないようにしています。 漫然と「いつまでに何店舗」、「売上をいくら」といった目標を設定してしまうと、それを追うのが目的になって、大事なことを見失ってしまいます。それでは意味がありません。それよりも、何のために頑張るのかをちゃんと考えることの方が大事なんです。 私の場合は、「プライベートを楽しむため」に「辛い仕事を頑張ろう」というマインドでいます。そうすれば、今に集中できる。今を充実させることができるのだと思うんです。
しゃぶ禅株式会社 https://www.shabuzen.jp/
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