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ビールで農業を盛り上げる!協同商事コエドブルワリー朝霧氏が目指す未来

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2022年08月26日

埼玉県川越市周辺を拠点に、「コエドビール」ブランドのビールを造るクラフトビール醸造所や、農作物の商社として事業を展開する株式会社協同商事。今回は、代表取締役社長の朝霧重治氏に話を伺い、創業やビール事業を立ち上げた経緯、コロナ渦での対応、M&Aに対する考え方、今後の展望などについて語ってもらった。

ビールで農業を盛り上げる!協同商事コエドブルワリー朝霧氏が目指す未来

<経歴>
朝霧重治氏
埼玉県川越市生まれ。1998年に株式会社協同商事に入社、2003年に副社長就任。ビール事業を再構築し、「コエドビール」ブランドのビールを世界各国にも展開。ビールの多様性と武蔵野の農業の魅力を発信し続けている。

有機農業の先駆けともいえる川越で農産物の商社を創業

―まずは、株式会社協同商事の創業の経緯について教えてください。

朝霧:私は2代目で、協同商事はファミリービジネスなんです。ただ、義理の父と母が創業した会社なので、私は宿命的に家業を継ぐという立場だったわけではないんですよ。先代は岡山県の山村出身で、農業がもっと社会から評価されるようにしていきたいと考えていました。自分自身が農業をやるのではなく、農業の仕組みを変えるようなことができないかと考えて、東京に出てきて日本生活協同組合連合会(生協)に入ったと聞いています。

―生協ではどのような業務をされていたのでしょうか?

朝霧:生協では、野菜の初代バイヤーを拝命したそうです。生協は安心・安全なものを取り入れる中で、農産物の買い付けもするようになってきました。そこで、先代は川越の若手の農家の方たちと出会ったんです。当時は、農薬を使わずに育てた野菜でも、栽培履歴は関係なく◯◯県産ということでひとまとめにされていた時代でした。そのような状況の中で、先代は生協から独立して、1975年に協同商事をスタートさせたんです。

―当時はどのような業務を行っていたのでしょうか?

朝霧:物流が今と比べて未発達だったので、農産物の物流から構築していきました。物流と仕入・販売という商社の機能ですね。農家の方と消費者の方と協同して日本の新しい農業の未来を作っていこうということで、協同商事っていう社名がつけられたんです。そこで、なぜ川越だったかというと、循環式農業が江戸時代から続いていた地域だったからなんですね。雑木林の落ち葉や肥溜めで堆肥を作って畑にまいて、という農業が続いていた。なので、有機農業や循環式農業という言葉がなじみやすかったんでしょうね。

―現在の有機農業の先駆けともいえる地域だったのですね。

朝霧:そうですね。産直や有機農業は今でこそ普通になりましたけど、当時は新しい取り組みでした。なので、全国の農家さんたちとのネットワークがだんだんできてくるんですよ。全国から視察に来られたり、講演に呼んでもらったりしたそうです。

川越の農業とともに、ビール醸造を目指す

ビールで農業を盛り上げる!協同商事コエドブルワリー朝霧氏が目指す未来

―農産物の商社だったところから、ビールにはどのようにつながっていくのでしょう?

朝霧:ビール醸造は農業の一環として始まったんです。同じ畑で同じ野菜をずっと作っていると土地が痩せてしまうんですが、そうならないように、さまざまな作物を畑に循環させて植えていきます。それを輪作といいます。また、緑肥といい地力を回復させる植物を積極的に栽培する方法もあり、代表的なのはマメ科の植物なんですが、イネ科の麦も緑肥として植えられます。でも、収穫はせずにそのまま畑に鋤き込んで耕してしまうんですよ。その麦を収穫しないのはもったいないので、麦を使ってビールにしようということがそもそものきっかけになっています。

―川越の麦でビール造りをしようと考えたんですね。

朝霧:ヨーロッパは農業が盛んで、6次産業化のような形になっていたので、日本でもそれをやりたいという理想がありました。ただ、1994年には酒税法改正によるビールの最低製造量引き下げで、少ない製造量でもビール醸造が可能になりましたが、結果的には大麦を麦芽にするところで頓挫してしまったんです。ビールを造るには麦を麦芽にする製麦という作業が必要なのですが、技術的には可能なものの事業としては難しかった。そこで、サツマイモをビールの原料にしようという案が出たのです。

―川越といえばサツマイモが名産ですね。

朝霧:収穫されたサツマイモのうち、4割くらいは規格外品で捨てられていたんですよ。今でこそ地産地消といってスイーツにするといったこともありますが、当時はまだそういったことはありませんでした。それをビールの原料にしようとしたんですが、サツマイモを使うと発泡酒になるということで、1996年に発泡酒の免許を取得したんです。

―その頃は、まだ社長にはなられていない時期でしょうか。

朝霧:私は1998年入社です。当時の彼女だった妻の家業で、アルバイトとしてその時期を見ていましたね。「小江戸ブルワリー川越」というブルワリーレストランをスタートさせたんですが、地ビールブームもあり、週末は2時間待ちになるほどでした。ビールの製造量も足りなかったので、酒税法改正前の量で事業拡張してしまったんですね。それが大変なことになりまして。

―地ビールブームが終わった頃ですね。それなのに、大きい設備が残ってしまった。

朝霧:その当時、地ビール参入したところは多くありましたが、ほとんどうまくいかなかったんですよ。その中で私たちが会社を維持してこれたのは、野菜や物流という本業があったからこそです。

多様なビール文化や地域の食文化を大事にすれば、必ずビールは再生できる

ビールで農業を盛り上げる!協同商事コエドブルワリー朝霧氏が目指す未来

―協同商事に入社して、仕事をしようと思ったきっかけについて教えてください。

朝霧:先代はおもしろくてロジカルでもあったんですよ。有機農業やビール事業について、これから価値が生まれる時代になると言っていて、筋もとおっているしなるほどな、と。私は大企業に勤めていたんですが、長く勤める意識もなかったですし、先代からも熱心に誘われたので。

―入社当時から、後々は会社を継ぐだろうという意識はあったのでしょうか。

朝霧:こういう家族経営の会社でもありますし、まわりもそう見ていたでしょうし、そういった含みはありましたね。2003年に代表権のある副社長になり、第三者目線でコンサルするように、うまく進められる事業と難しい事業を選別するようになりました。その中で大きな課題だったのがビールです。

―事業拡張をして地ビールブームが去った後に、どのように事業を改善していったのでしょうか。

朝霧:当時は設備投資してしまったので、工場の稼働を上げるのが目標になって、迷走してしまっていました。そこで、やはりビールは農産物ですし、価値あるものづくりをしていこうと。多様なビール文化や地域の食文化を大事にしていけば、必ずビールは再生できると思ったんです。その頃アメリカでは、クラフトビールが認知されてきていました。日本の地ビールではどこで造っているかという観光要素が強くなっていましたが、誰がどうやって造るかという職人としてのクラフトビールというのは、すごくいい言葉だなと。

―決定権のある立場になって、以前からの社員さんとのやりとりが大変だったということはありませんでしたか?

朝霧:一般的には、そういうケースが多いと思うんですよ。ただ、まったくうまくいかない状態のときは、閉塞感の方が強いんです。根本的に変えないといけないという状態だったので、先代にも「ここはまかせてください」とお願いして、トップダウンでやっていました。

―社員さんからの反発のようなことはなかったんですね。

朝霧:ひとつだけ覚えていることがあります。当時、サツマイモを使ったビールは揶揄されるように「いもビール」って言われていたんですよ。イモは馬鹿にするような意味合いで使われていて、醸造家も不満があったんでしょう。「なぜこのビールをやめないんですか」と。それに対しては、「地域に根ざしたものは、いずれものすごく力になるときがくるから、今はそれを信じてやってほしい」と伝えました。でも、それくらいですね。

川越駅前はレストランは地域の方々とともに

ビールで農業を盛り上げる!協同商事コエドブルワリー朝霧氏が目指す未来

―現在では、東松山市にCOEDOクラフトビール醸造所を設立し、川越駅西口のU_PLACEにはCOEDO BREWERY THE RESTAURANT(コエドブルワリー・ザ・レストラン)をオープンされています。なぜ川越駅前にレストランをオープンしようと思ったのでしょうか?

朝霧:もともと「小江戸ブルワリー川越」があった場所は、長い目で見たときに情緒のあるようなところでもなかったので、「小麦市場」「香麦」と店舗は変わったものの、いずれ移転をしないといけないと思っていました。ただ、川越駅の東側にある蔵の街周辺は観光地で、弊社のお客様も多いんです。そこで競合になってはいけないですし、移転するなら川越駅の西側で考えていたところ、再開発で川越駅西口にU_PLACEができて出店をお誘いいただきました。

―オープンにはそういった経緯があったのですね。

朝霧:ただ、弊社では飲食店は運営していません。「小江戸ブルワリー川越」の時代から、ポテンシャルに気づいていただいたレストランのオーナーさんがいらっしゃるんです。COEDO BREWERY THE RESTAURANTは工場も併設しているんですが、レストランはその方に運営をおまかせしています。

―コロナ禍での店舗オープンでしたが、どのように運営していたのでしょうか。

朝霧:コロナ禍で一番大変だったのは、アルコールが出せない時期ですね。さすがにきつかったです。でもそれ以外はお客様がいらっしゃらないということもありませんでした。レストランの第一のお客様はやはり地域の方々です。また、観光地は駅の反対側ですが、もちろん観光客の方々もいらっしゃいます。なので、地域でやっていてよかったなと思いますね。都心のオフィス街だったら本当に大変だったと思います。

次の経営者には今の会社にない経験・知識を持っていてほしい

ビールで農業を盛り上げる!協同商事コエドブルワリー朝霧氏が目指す未来

―飲食関連のM&Aについてはどうお考えでしょうか。次の世代に事業承継する手段としても考えられるでしょうし、事業拡大ということでもM&Aを行うことも考えられると思います。M&Aについてのお考えをお聞かせください。

朝霧:どのような事業でもそうだとは思うんですが、やはり大切なのは人だと思うんですよ。私たちが飲食店を直接やっていないのは、農業や製造業といった川上のほうが得意だからです。飲食店はオーナーやシェフがお客様の顔を見て、ホスピタリティのある対応をするのがいいと思うんですよ。なので、私たちはそこで選んでいただけるようなビールや野菜をつくらないと、という思いがあります。そういった意味でも、のれんは大事ですよね。屋号や名声といったこととか。ただ買収・売却ということではなく、運営する人が残ってくださるような形がとれれば、飲食業のM&Aはうまくいくんじゃないでしょうか。

―店だけでなく、人も含めたM&Aがいいということですね。

朝霧:うまくいっているんだったらそうですね。サービスは属人的なものですし、ファーストフードでも最終的には人が介在していますから。やはり、そのサービスに日本人は期待するところがあるでしょうし、やはり人が大切なんだと思いますね。

―ご自身が次の経営者に引き継ぐ際、次の経営者にはどのようなことを求めたいですか?

朝霧:私は30代前半で経営者になって、リストラフェーズで会社を引き継ぎました。なので、次の経営者にはポジティブな状況を用意したいと思っています。次の経営者には、この会社の理念への関心や賛同があるのは前提として、今の会社にない経験・知識・得意分野を持っていてほしいと思いますね。そうすれば、会社も進化できるんじゃないかと思います。

―最後に、今後の展望について教えてください。

朝霧:協同商事という会社は、農業とずっとつながっているんですよ。ただ、私たちが大切にしてきた有機栽培や循環型の農業は、日本では全然普及していないんです。「有機JAS」の認証を受けている田畑はたったの0.2%程度。では、いらないのかというと、そんなことはない。業界側もしっかり伝えてこなかったんだろうなと、自戒を込めて思っています。また、農家さんも後継者不足で危機的な状況です。そこで私たちが農作物を作ってしまうと、単なる競合になるんですね。そうはなりたくないので、ビールを造って農業を盛り上げようと考えています。

―6次産業化の一部を担うという感じでしょうか。

朝霧:私たちは、大麦とビールの領域、オーガニックの宣伝を引き受けて、それ以外のところはいろいろな方々と連携してやっていきたいと思っています。また、川越やブルワリーの周辺で、黄金色の麦畑が増えていくのが夢ですね。ブルワリーの敷地は将来を見越して6万平米あるんですよ。そこを実験農場として麦畑にするだけでなく、興行としてしっかり成立して続けられるようなフェスができるといいですね。

株式会社協同商事について

株式会社協同商事は、「健康の基礎となる食べ物は安全でおいしいものを」「日本の農業を少しでもよくしたい」という創業者の熱い思いから、1975年に創業。農産物の卸売やビール醸造を行っている。
株式会社協同商事HP:https://kyodoshoji.co.jp/
コエドブルワリーHP:https://coedobrewery.com/jp/

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