「海外でシェフとして生きること」シンガポールで活躍する2人の日本人シェフの挑戦(後編)
料理人としてどこで働くか。開業にあたり、ひょんなきっかけでそれまで思ってもみなかった方向へ路線転換することもある。今回ご紹介する2人は、シェフになるにあたりそれぞれの理由で海外に出る選択をした。2人とも行き先はシンガポールだが、就任までのいきさつや思いはそれぞれ異なる。
後編は、フランス料理をベースにしたイノベーティブ『オマカセ・スティーブン』のシェフ・窪田修輔さん。2022年に若手料理人コンテスト「RED U-35」で準グランプリを獲得した実力者だ。
シンガポールのシェフ就任のオファーを受けた時期はコロナ禍の真っ只中。窪田さんは半年の予定だった語学留学を3か月で切り上げて帰国、職探しをしていたときだった。
【連載 前編】「海外でシェフとして生きること」シンガポールで活躍する2人の日本人シェフの挑戦(前編)
行かない理由はない
「フィリピンに語学留学に行った直後にコロナが始まって勉強が続けられなくなり、これからどうしようという時でした。英語圏で働きたいという思いが以前からあり、アメリカかオーストラリアと漠然と思っていたところに今回のシンガポール行きのオファーがありました。たとえ失敗したとしてもやらない理由はないと思いました。『シンガポールは今の自分にとってよくわからない国だけど、英語が勉強できて、シェフもできるし、収入も見込める』と判断したからです。
日本で働いていたとき、『今後どうしたいの?』と聞かれたら『海外でやってみたい』と色々な人に言ってきました。それを覚えていてくれた人から今回の話をいただいたので、そういう自分の思いを日頃から人に伝えたり発信したりするのは大事だと思います」
窪田さんがシェフに就任した『オマカセ・スティーブン』は、当初は別の人がシェフで寿司店になる予定だったという。その計画が崩れ、新たに白羽の矢が立ったのが窪田さんだった。
「施工こそまだ始まっていなかったものの、プロジェクト自体はかなり進んでいましたので、寿司店の設備をフレンチベースの料理の設備に変える修正が必要でした。オーブンがガス下の小さなものだけだったので、ちゃんとしたオーブンを入れてもらうなど若干は変えてもらえましたが、すでに発注された什器も多くて、支障がないものはそのまま使っているものもあります。だから、フレンチには必ずしも必要のない、鮨ネタを入れても乾かないような水蒸気が出る冷蔵庫が、結構多めに配置されています」