飲食店ドットコムのサービス

「海外でシェフとして生きること」シンガポールで活躍する2人の日本人シェフの挑戦(前編)

LINEで送る
Pocket
follow us in feedly

『ホワイトグラス』(シンガポール)シェフ・山下拓也さん

料理人としてどこで働くか。開業にあたり、ひょんなきっかけでそれまで思ってもみなかった方向へ路線転換することもある。今回ご紹介する2人は、シェフになるにあたりそれぞれの理由で海外に出る選択をした。行き先はシンガポール。日本から飛行機で約7時間。赤道直下、日本とは大きく異なる環境でシェフとして働く苦労や醍醐味を2人に聞いた。

まずはシンガポールのフランス料理店『ホワイトグラス』シェフの山下拓也さん。シェフ就任4年目。シンガポールの中心街にある40席の店がスタッフ総入れ替えすることになり、新たなシェフとして迎えられたのが山下さんだった。

【連載 後編】「海外でシェフとして生きること」シンガポールで活躍する2人の日本人シェフの挑戦(後編)

背中を押してくれた先輩

「元々お店は東京でやるつもりでした。専門学校時代の同級生で、将来は一緒にやろうと約束していた「相棒」(現スーシェフの縄田光平さん)が、海外研修から帰ってきたタイミングで、と話を進めていたところでした。そんなときに今回のシンガポールの話を大橋直誉さんから紹介いただきました」

山下さんはこの話をいったんは断ろうとしたという。そのときに山下さんの背中を押してくれたのは、勤務先である『シエル・エ・ソル』のシェフだった音羽創さんや『オトワレストラン』の音羽元さん、そして同じように海外で働いていた先輩の存在だった。

山下さん(写真右)が「相棒」と呼ぶスーシェフの縄田光平さん(写真左)。(写真提供:山下さん)

「アジアで働く心得を教えてくださったのは、たまたまみかんを焼くためオーブンを借りに来た篠原裕幸さん(現・白金『ShinoiS(シノワ)』シェフ)でした。『山下くんが思ってる以上にアジアはすごいよ。すでに星を取ったお店で、しかもチーム総入れ替えでシェフがやれるなんてチャンスないよ、今行く時だよ』と。

とはいえ、英語も話せませんし、契約する際の注意点もわかりません。篠原さんからは、契約について『どこに気をつけるべきか』、『どういう条件を盛り込んでもらう必要があるか』、またオーナーとの付き合い方など、細かいところまで教えてもらいました。

たとえば、もし会社を辞める時に何か月前に通告する必要があるのか。辞めると言ってからの縛りが何か月なのか。それをものすごく長く設定されている場合もあったり、あとは『辞めた後、この国では働かないでくださいね』みたいな無茶な条件が書かれていたり、何かに違反したときなどにものすごい額の罰金を課すというようなひどい条件を盛り込んだ契約書もある。だから契約書を必ず公的機関で日本語に訳してもらって、完全に理解した上でサインしなくちゃいけませんよと。

あとは皿の上の決定権、自分が最終的にこの料理で行くと決めたらそれを絶対覆さないというのも条件に入れた方がいいというアドバイスももらいました。僕の場合、蓋を開けてみればとても良いオーナーだったので杞憂に終わりましたが、実際には色々なケースがあるようです。

また、店の方向性についてはっきりした見通しを持たないオーナーも多いです。最初にすり合わせたほうがいいと思うのは、オーナーが、レストランとして高みを目指したいのか、あるいはオーナー個人の好みに徹底的に合わせるのかなど、レストランの基本的な方向性です。その設定を決めていないことも多いようで、そういう人と働くのは大変だと思います」

Pocket
follow us in feedly
飲食店ドットコム通信のメール購読はこちらから(会員登録/無料)
飲食店ドットコム ジャーナルの新着記事をお知らせします(毎週3回配信)
うずら

ライター: うずら

レストランジャーナリスト。出版社勤務のかたわらアジアやヨーロッパなど海外のレストランを訪問。ブログ「モダスパ+plus」ではそのときの報告や「ミシュラン」「ゴ・エ・ミヨ」などの解説記事を執筆。Instagram(@photo_cuisinier)では、シェフなど飲食に携わる人のポートレートを撮影している。