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能登半島地震、ミシュラン一つ星シェフが連日の炊き出し。温かい食事に涙する被災者も

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被災した『一本杉 川嶋』(写真提供:川嶋亨氏)

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自宅も店舗も被災する中の炊き出し

川嶋氏は石川県七尾市の出身。料理の専門学校を卒業後、大阪の料理店などで修業を重ね、2020年7月に七尾市の一本杉通りに日本料理店『一本杉 川嶋』をオープンした。店名は、祖父母の家の近くにあり自身もなじみがある「一本杉通り」に由来する。かつて活気のあった一本杉通りを食の力で取り戻したいとの思いからの命名。2021年5月には「ミシュランガイド北陸2021特別版」で一つ星を獲得、開店から1年足らずで予約困難店となった。2022年には石川県の料理人仲間と「NOTOFUE(ノトフュー)」という団体を設立し、生産者と連携してさまざまな問題に取り組み始めた。

その矢先にやってきた大地震。川嶋氏の自宅も店舗も大きく傾き、居住(使用)できなくなった。現在は輪島から避難してきた姉家族と共に七尾市内にある実家に身を寄せている。同氏自身も被災者でありながら、他の被災者のために尽力している。川嶋氏の呼びかけに料理人はもちろん、家庭の主婦、サラリーマン、自営業者なども集まりチームが結成され、それぞれが調理役、配送役などをこなす。しかも、地震翌日の1月2日には炊き出しを始めるスピード感。

「勝手に体が動き始めていたという感じでしょうか。今後、炊き出しは必ず必要になるというのが分かっていましたし、過去の大きな震災でも料理人は必ず炊き出しに行っています。料理人としてできることは料理しかないと思いましたから」と、直ちに活動に入った理由を説明する。

炊き出しを行うチーム七尾パトリア(写真提供:川嶋亨氏)

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川嶋氏は地震の前から街づくりの集まりに顔を出し、地元への貢献を意識しながら店舗を運営していた。2022年11月には食のフェスタ「うますぎ一本杉」を開催し、1万人以上の人が訪れるイベントとしている。地元への貢献を続けていたからこそ、地震直後に仲間と連絡を取った時に、まず、地元に何ができるかという話になるのは当然だったのかもしれない。「仲間から『今後は炊き出しが必要になるよね』という声を聞かされ、自然な流れから始まったと言えます」と振り返る。

被災者からの感謝のメッセージが並ぶ(写真提供:川嶋亨氏)

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これも運命なのか

開店から1年も経たずにミシュランの一つ星を獲得するほどの技術を持つ川嶋氏であれば、東京や大阪で開店することも可能であったはず。実際に修業をしていた大阪で開店を勧める声や、自身も大阪でという考えもあったとか。

しかし、能登への思いから七尾市に戻ることを決め、開店の2年半後に被災する結果となった。外部の人からは「大阪で開店していれば被災せずにすんだのに、運が悪かったね」という声も聞こえてきそうである。川嶋氏も地元に戻る選択に、ある種、運命めいたものを感じるという。

「こちらに戻る時には相当な覚悟をもって帰ってきました。2011年に能登里山里海が世界農業遺産に指定され、今後、能登はどんどん良くなっていくと思っていましたが、一向に良くなりません。そこで自分が帰ることで微力ながら能登に貢献できるのではないかと思いました。そのため料理を作るだけではなく、街づくりの集まりにも参加するようにしました。それで今回の震災ですから、自分自身が試練を与えられている気分です」

もっとも自らの決断に後悔はない。「能登のために帰ってきた、その時の強い覚悟は今も持っていますから、他の所に行く気はありません。この街をよりパワーアップさせる覚悟を持ち、自分だけでなく仲間を巻き込んで前へ進みたいと思っています。街の人が元気にならない限り復興はできません。料理人にできることは料理で人々を笑顔にすることです。僕は料理人として街を復興させることを自分のミッションとしてやっていこうと思っています」と話す。

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松田 隆

ライター: 松田 隆

青山学院大学大学院法務研究科卒業。ジャーナリスト。スポーツ新聞社に29年余在籍後にフリーランスに。「GPS捜査に関する最高裁大法廷判決の影響」、「台東区のハラール認証取得支援と政教分離問題」等(弁護士ドットコム)のほか、月刊『Voice』(PHP研究所)など雑誌媒体でも執筆。ニュース&オピニオンサイト「令和電子瓦版」を主宰:https://reiwa-kawaraban.com/