年商1億円の『鮪のシマハラ』グループ。無職から中国で年商20億円を達成、日本で新たな挑戦へ
マグロ居酒屋『鮪のシマハラ』を都内で3店舗展開する鮪のシマハラ株式会社。同社の代表取締役である島原慶将氏は、中国の上海で最盛期に年商20億円を売り上げた凄腕だ。しかし飲食業界へ足を踏み入れる前はしばらく無職だったという。コネなし、貯金なしでどのように中国市場へ挑戦したのか、そしてなぜ再び日本に戻ってきたのか、同氏に話を聞いた。
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語学力ゼロ&無一文で中国へ渡り、年商20億円の飲食店経営者になるまで
1973年、高知県でマグロ漁師の息子として誕生した島原氏。少年時代から独立願望を持っており、大学では理系学部の中では独立がしやすそうだと感じた建築学部へ進学した。就職活動では「上場間近の企業の方が、独立のノウハウを学べるのではないか」と的を絞り、某靴販売会社に新卒3期目として内定し、就職した。しかし働き始めて3年で退職し、その後は「東京や高知の実家でブラブラしていた」と話す。
30歳目前になり「海外に行って一旗揚げよう」と考えた島原氏は、金なし&コネなしで単身上海へ。当時は「謝謝」程度しか中国語は話せなかった上、兄から借りた30万円のお金も数か月で底をついてしまった。その後は中国人の彼女を作って一緒に暮らし、1年ほどまたブラブラしていたという。
「そろそろ何か事業を立ち上げなくては」と考えた島原氏は、父親がマグロ漁師であること、自身もマグロ好きであることから、日本のマグロを中国の人々に届ける事業を思いつく。築地の仲卸に相談し、上海天家飲食管理有限公司を創業して築地ブランドのマグロを中国で卸し始めた。
その半年後には「築地ブランドのマグロの良さをもっと多くの人に広めよう」とレストラン事業として頑固マグロおやじの店『天家』の営業も2005年にスタート。これが中国の好景気の波に乗り、大当たりする。最盛期の2012~2014年には直営14店・FC3店を展開し、年商20億円まで成長させた。
