口コミ評価星一つの人気店・神保町『オトナリ珈琲』。カフェは“必要ない場所”だからこそ、必要
あえての奥まった築古物件。物件選びからも垣間見える店づくりの意図
その後、しば田さんは駒込の『百塔珈琲』や出張喫茶、コーヒー豆のオンラインショップなどを経験。実店舗の『オトナリ珈琲』を開業するわけだが、選んだ物件はなんと、コインランドリーの「中」に入口がある古い建物の2階だった。だがここにもやはり、先程の言葉と通ずるものが見て取れる。
もともと古い建物が好きだという彼女。それは、残った傷や使用感のあるところどころに、それまでいた人の気配⋯⋯、つまり人の“跡”を感じるからだと話してくれた。
「私は『生物として生きるために必要“じゃない”ことをやりたい』と思っているんです。明確に見えるもの以外にも、大切なことがたくさんあると思うから。カフェってまさに『必要のない場所』だと思うんですよね。だからこうした、古くてちょっと奥まった場所にピンときたのかもしれません」
カフェは「必要じゃない」からこそ「必要」なもの
「必要ではない」場所をつくる——。『オトナリ珈琲』がランチや軽食など、食事を提供しない理由もここにある。食事は生活する上で不可欠だが、確かにコーヒーやスイーツはそうではない。だからこそ、カフェを訪れる人それぞれに異なる背景や目的があり、人間味が見え隠れするとしば田さんは考えるのだろう。
今、時代はあらゆるものがデータ・数値化され、知りたいと思った情報はすぐに手に入り、効率的・合理的に習得できるようになった。間違えること、遠回りすることがネガティブかのように捉えられ、多くの人は「正解」「正義」に「最短距離」でたどり着くことに夢中になっている。
実際は、その間のプロセスにさまざまな発見や出会い、時に苦悩があり、見知らぬ人と関わったり自分なりに工夫したりして揉まれながら、人として厚みを増していくはずだ。しかし、自分が知りたいことだけを知り、好きな仲間だけで集まり、好きなものだけを手に入れることが当たり前の今、得られるのは「自分が求め、予想・想像したもの」でしかなく、密度が小さいものになる可能性をはらんでいる。
しば田さんは「決してその流れを否定するわけではなく」と前置きしながらも、ならばなおのこと「必要のないものが、必要」と語る。
「今はまだ、こういう時代になって間もないから、未来にどんな結果を生むのか誰にもわかりません。でもきっと、いつか虚しくなる気がするんです。人生100年もあるのに、みんなが一瞬にして同じレベルまで達してしまうんですよ(笑)? 私は本当にそれだけが大切なことなのか、考えてみたい。
実は店内には、『Google Mapに星一つを付けてコメントしてください』という表示があります。『データ上の評価は1なのに、実際は人気店だった』という一種の“バグ”を作って、私自身が楽しんでいるのですが、同時に、データとの付き合い方を考えるヒントになればと思っています。コーヒーの抽出にもあらゆる数値が必要であるように、データや数値はもちろんすごく重要。ただ、データだけでは表れない部分にも大切なことがあることを示していけるといいなって。
『オトナリ珈琲』が3年続けられているということは、必要のない時間や出会いが人間にとってどれほど貴重かを知っている人がたくさんいるということです。そしてこの先、同じような人が増える時がきっと来ると思うから、カフェや喫茶店はもっと必要な場所になっていくと思っています」
考えてみれば、店員が目の前で淹れてくれたばかりの同じ温かい飲みものを、食事でも仕事でもないのに、見知らぬ人と隣り合って飲んでいるという状況はかなり“特殊”だ。同じ場所に無作為に人が集まり、同じ味と時間を共有する——。それはいわば奇跡のようなことであり、どんなに技術が発達しようとも、物理的に人が会うことでしか成立しない以上、「カフェ」という場がなければ起こり得ないこと。その時に何を感じ、何を得て、何につながるか……。答えはすぐに出ないかもしれないが、「生きる上での財産になると信じたい」というしば田さんの言葉に、共感する人も少なくないのではないだろうか。
