パドラーズ発の“二毛作”タイ料理店『オレンガタン』中野。人を集める「シェア」と「共感」の伝播
魅力的な「人」と「場所」。2つが繋がって見えた夜営業の活路
いま、『オレンガタン』で腕を振るうのは、かつて松島さんが足繁く通ったという下北沢のタイ料理店『ラークパクチー』(2022年11月閉業)でオーナーシェフを務めていた内山亮氏。2015年頃に初めて内山氏の店を訪れて以来、彼が作るチェンマイ・イサーン料理にとにかく夢中になったという松島さんは、同店の閉業後も内山氏とのつながりを大切にしてきた。
一方で『ルー』は、夜営業の在り方の転換期を迎えていたと振り返る。
「『ルー』では、本店のコーヒーショップでできなかったこととして、より多様な人が多様なシーンで集まれるよう、夜にお酒や食事を楽しめるスタイルを目指してきました。でも夜の中野の街は、大衆居酒屋の需要が圧倒的に高い。街のニーズとの小さなすれ違い感がずっと拭えずにいたんです」
星の数ほどの魅力的な店が存在する東京で、わざわざ訪れたくなる“夜カフェ”とは……。スタッフ全員でさまざまなイベントやメニューの転換を試み、そのステップアップの道を探っていたさなかだったという。
そんな時に頭をよぎったのが、「自分が愛して止まないタイ料理を、好きなワインやビールがすでにあるこの空間で楽しめたら」という欲求にも近いアイデアだった。自分が身を持って体験してきた「目がけて行きたくなるほど、おいしい料理を作る人」がすぐ側にいて、「それをシェアできる場所」がある……。2つが結びついた瞬間、夜の『ルー』に人が集う姿がくっきりと浮かび、目の前にかかっていたモヤのようなものがスッと晴れていったと語った。
ただ同時に、スタッフとベクトルを合わせるのには時間が必要だったと振り返る。なにせ「カフェ」と「タイ料理」だ。自身の中では「人が集まるフック」となるものが違うだけで迷いはなかったというが、内山シェフの料理を食べたことがない仲間たちにとっては、イメージが湧かなかったのだろうと慮った。
「何度も議論を重ねたし、最終的には一緒にチェンマイに行って僕が受けた感動やワクワクを共有して、みんなが自信を持って『良いものが届けられる』と思えるまで粘り強く話し合いました。内山シェフが作る大好きなタイ料理をもう一度食べたい、みんなに食べてほしい ——。とにかくその一心でしたね」
夜カフェを止め“二毛作”に。いかに昼夜で異なる世界観をつくれるか
こうして動き出した、『ルー』でのタイ料理プロジェクト。だがここで単に、「『ルー』の夜メニューにタイ料理を加えるだけ」でも「同じ場所で、屋号と業態を改めるだけ」でもなく、その想像の先をいく刺激を届けてくれるからこそ、松島さんがつくる空間には多くの人が集まってくるのだろう。
松島さんが出した答えは、22時までだった『ルー』の夜カフェ営業を止め、16時でクローズに。18時以降は、業態も店の名も、そして外観や内装、各種グッズや世界観までをも変えるという、“劇的な変化を伴う二毛作スタイル”だった。
『ルー』の閉店後、『オレンガタン』の営業開始までの2時間の間に、エントランス、店内のタペストリーやインテリアグッズなどの装飾はもちろん、テーブルやクッションまでをも変えるほか、料理やドリンクを提供する各種オリジナルワイングラス、ビアマグ、カトラリーや食器なども一新。物理的な保管場所も作業的なコストも必要になるが、「いかに非日常的で、心が踊る楽しい時間を届けられるか」を大切にしている松島さんならではの店づくりといえる。そこには世界各国でさまざまな食文化に触れてきた経験が活きていた。
「例えばエスニックレストランに行けば、スパイシーな香りのするハンドソープがあったり、また別の国のレストランに行けば、聞いたことのない良い音楽が流れていたり、自分が思いもよらない細部にまで特別な体験があると、そこで過ごした時間はグッと心に残るものになります。僕自身がそういう、日常生活から離れた世界観がすごく好きだから誰よりも突き詰めたいし、『パドラーズ』『ルー』『オレンガタン』それぞれに、こだわりが詰まった世界観があるからこそ、そこに共感する人が集まってくれると思うんです」
皿やグラス、そしてスタッフの接し方一つで、料理の味も思い出の残り方も大きく変わると語る松島さん。もちろん、『ルー』の夜営業時にタイ料理を並べる案もあったというが、朝や昼の『ルー』を知る人にも最大限に自分が愛する料理を楽しんでもらうために、あえて「夜カフェを止める」道を選択したのだ。
