元甲子園球児・弓削啓太シェフがパスタ界のW杯で準優勝。高校卒業後に歩んだ新たな道で栄誉つかむ
人生が変わった大学受験、カナダで新たな夢の入り口
そんな弓削氏の人生が変わったのは進路選択の時。大学でも野球を続けようと考え特別推薦も受けていたが、まさかの不合格となった。第一志望ではない大学に行くよりは、とワーキングホリデーを利用してカナダへ。そこでレストランの皿洗いのアルバイトを始めたが、野球でも手を抜くことがなかった弓削氏は必死に皿を洗い続ける。その真面目な姿を見たカナダ人の店長から料理学校の受験を勧められ、料理の世界へ入ることになった。やがて料理の楽しさ、奥の深さに魅せられ、東京で就職、パリの三ツ星レストランへの留学と一流シェフへの階段を上がり始める。イタリアで行われたパスタのW杯ファイナリストへの入り口は、カナダでの皿洗いのアルバイトというわけである。
同級生のエースも絶賛、海外で戦う困難に打ち勝った
弓削氏が甲子園に出場した時の鳥栖高校のエースは同じ2年生だった内山秀典投手。早大を経て、現在は早実の職員として勤務する傍ら、同校野球部の投手コーチをしている。
同氏は「大会中、弓削君がフェイスブックに経過を載せていたので、ずっと見て応援していました。世界で戦っているのは大変なことだと思います。僕も高校時代、日本代表でアメリカに行って野球をやった経験があるので、違う環境で普段通りの力を出すのは並大抵のことではないのは分かっているつもりです。彼は新たに自分で道を切り拓き、道を究め、本当にすごいという言葉しかありません」と同期の活躍を喜ぶ。
中学時代から対戦し高校ではチームメートだった内山氏には、弓削氏がカナダに行った経緯等も知るだけに特別な思いがある。「彼も大学で野球を続けたかったのではないでしょうか。大学を落ちてカナダに行った時は、正直なところ『現実からの逃避なのかな』と思ったりもしました。しかしカナダで料理の勉強をしていると聞き、自分で新たな道を見つけたようだと感じました。彼は軸がブレないというか、芯が強い印象です。自分の中に確固としたものがあって、自分の道を決めていく感じです。ファッションも結構奇抜だったりするのですが、周囲に何を言われてもブレないというか、そういう面は昔からありました」。
野球とは違う世界で頂点を目指し、大舞台で活躍する弓削氏を「羨ましいですね」と言う。ちなみに甲子園で弓削氏が粘って四球を選び、つないだ次打者は内山氏である。
若い料理人を育て、自らも学ぶ姿勢。弓削啓太の「代走」はいない
大きな勲章を手にした弓削氏は今後については、レストランでの自らの果たすべき役割を意識している。「どんどん若い料理人が入社してきますが、レストランがチームとしてやっている以上、彼らを育てないといけませんし、また、指導できる料理人になりたいと思っています。自分が常に憧れられる存在でないと、下はついてきません。だから自分も勉強をしないといけないと思っています。指導しつつ、上からも下からも学ぶ姿勢を持ち続けたいですね」と、あくなき向上心とフォアザチームの心境を披露する。
バットを包丁に持ち替えて、イタリアで花を開かせた弓削氏。甲子園では代走だったが、この世界では代わりになる者がいない存在となっている。
◆第84回全国高等学校野球選手権大会3日目(2002年8月10日)1回戦第2試合
試合時間3時間8分
桐光学園(神奈川)000 000 000 000 3|3
鳥 栖(佐 賀)000 000 000 000 0|0
【桐】清原尚志(投)—船井(捕) 打者51 被安打7 奪三振11 与四球7 投球200
【鳥】内山秀典(投)—飯田(捕) 打者53 被安打13 奪三振7 与四球2 投球169
弓削啓太(ゆげ・けいた)
1985年、佐賀県出身。鳥栖市立基里中学時代は投手として活躍し、鳥栖高校では内野手として2年時に夏の甲子園に出場。卒業後、カナダに語学留学した時にイタリアンレストランで皿洗いのアルバイトをきっかけに料理の世界へ。同国で料理学校に入り、帰国してフランス料理の『シェ・イノ』に入店。フレンチを極めるためパリに留学して三ツ星の『Guy Savoy(ギーサボア)』で1年間修業した。帰国してイタリアンの店に入り、2013年の『クイントカント』の立ち上げ時から同店で働いている。
『リストランテ・クイントカント』
住所/大阪市北区中之島3-6-32 ダイビル本館1F
電話番号/06-6479-1811
営業時間/12:00~15:30(L.O.13:00)、18:00~23:00(L.O.20:00)
定休日/日曜、第一・第三月曜
http://www.quinto-canto.com