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2か月先まで予約が埋まるおでん店『関西煮 理』。50代で三重から中目黒へ移転、そのワケとは?

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歌手デビューを果たした『暖簾一代』は、キングレコードの一番大きなスタジオで収録を行ったという

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キングレコードから歌手としてもデビューを果たした理さん

『おでんのオサム』にはさまざまな著名人も来店している。そのうちの一人が天童よしみや美空ひばりなど錚々たるアーティストに作品を提供してきた作詞・作曲家の岸本健介氏だ。

理さんは昔から人前で歌うのが好きで、歌手になりたいという夢もあり、とある先生のレッスンを昼間の空き時間に受けていた。その先生の友人というのが岸本氏で、仕事で三重に訪れた際に『おでんのオサム』にも度々来店していた。

理さんは来店した岸本氏に「曲を書いてください」と打診を続けたところ「コンテストでグランプリを取ったら書いてあげる」と返答をもらう。理さんは休みのたびにさまざまなコンテストに出場し、見事三重県の大会でグランプリを受賞。「お店も15周年だし記念に曲を無料で書いてあげるよ」と岸本氏に作ってもらったのが、キングレコードから発売された『暖簾一代』だ。当時37歳だった。

『おでんのオサム』は途中、店舗の敷地を駐車場まで拡張し、別館を建てて10年営業。現在跡地はデイサービスに貸し出している。40〜45歳の頃にはダイエットを目的に始めた筋トレやボクシングにハマり、自身でマシンを揃えて筋トレ専用のジムも開業した(現在売却済み)。

和洋折衷の内装。カウンターで数十種類のおでんが煮込まれている

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30年続けた三重の店をたたみ、50代で東京出店に挑戦

常連客も多く、売上も安定し、東海地区では度々メディアに取り上げられるなど人気店として名を馳せた『おでんのオサム』。そんな理さんの心を変えたのが、コロナ禍だった。「このまま東海地区だけでおさまりたくない。一度は東京でお店をやって、自分の実力を試してみたいと思ったんです。あかんかったら帰ろうと」

理さんの3人目の子供が大学に入学したこともあり、子育てがひと段落したタイミングでもあった。そしてコロナ禍ということもあり、駅前の立地の良い居抜き物件が、比較的安価で貸し出されており「これはチャンス」だと理さんは思ったという。

当時、理さんは50代に突入したばかり。周りからはその年齢からの新たな挑戦に「大丈夫?」と心配されたというが、自分がワクワクする道を選んだ。

物件は東京に会社を持つ『おでんのオサム』時代のお客きっかけで出合った。その紹介者からも「『おでんのオサム』には中目黒という街が合っていると思う。銀座や赤坂など老舗があるような街も違うし、新橋や赤羽など飲んべえがいる街も違う。ここが向いている」と後押しされ、2022年4月に物件の契約を結んだ。

東京出店に際しては、どれだけお店を続けられるかが不透明だったため、一旦家族を三重に置いたまま一人で上京した。現在は元々店の個室だった場所を住居として、住み込みのような生活を送っている。朝9時に起きてから仕込みをして、ボクシングジムで体を鍛えてシャワーを浴び、買い物をしてから帰宅し、さらに仕込みをしてから営業をこなし、深夜3時まで仕込みを行うという生活スタイルだ。

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中森りほ

ライター: 中森りほ

グルメ系ウェブメディアの編集・ライターを経てフリーライターに。フードアナリストの資格を持ち、現在マガジンハウス『Hanako.tokyo』や徳間書店『食楽web』、ぐるなび『dressing』、日経『大人のレストランガイド』などで飲食店取材記事や食のエッセイを執筆中。