新店『居酒屋 うちやま』では自らが厨房に。MUGEN内山正宏氏の店づくりの軌跡
【30代後半】都心の商業施設での成功で、「居酒屋」への世間の価値観が変わる
『なかめのてっぺん』を創業して6年目の2012年に、『なかめのてっぺん丸の内』を開業。これが大きなターニングポイントとなったと内山氏は振り返る。
「当時はまだ、商業施設に居酒屋業態が入ることが珍しかった時代。施設担当者から『居酒屋とは謳わないでほしい』と言われて炭焼き業態として出店しましたが、結果的には坪売上1位を達成。横浜に出店するときは『あの元気のいい居酒屋さんに入ってほしい』とお声がけをいただき、居酒屋に対しての評価が変わっていくのを感じました」
昼は、美味しい魚と炊き立てのご飯。夜は、活気があって、自分の地元に欲しいなと思うような居酒屋を、東京のど真ん中でやることを追求した30代であった。
【40代前半】料理人の成長が支えた「築地もったいないプロジェクト」
『なかめのてっぺん』を中心に展開をしてきた内山氏が40歳になる年に開業したのが、『築地もったいないプロジェクト 魚治』だ。炉端焼きも類似業態が増えてきて、何か個性を出さなくてはと考えていた折、変化のきっかけをもたらしたのは自身の原点である料理人としての感覚だったという。
「経営者なら、同じ業態をパッケージ化して管理をしやすくすると思うんですけど、毎日同じメニューで発注も簡単になっていったら絶対つまんないなと思ったんです。温暖化が進んで食材の旬もわからなくなってきているから、ちゃんと市場に行ってその時期の旬の食材を使うのがいいと思って、『てっぺん』の料理人たちを市場に連れ出すようになりました」
最初の頃は、例えばハモをやろうというと、なかには触ったことがないという料理人もいたそうだ。
「やったことがないからできません、っていうのを変えていきたいから、YouTubeでもなんでも見て、失敗してもいいからやってほしい、って伝えたら、店舗のメニューが少しずつ変わっていきました」
そうしてほかの居酒屋があまり使わない素材を積極的に取り入れているうちに、市場のほうから売れ残りを買ってほしいという声や、まとめて買うなら安くするという提案をもらうようになった。
「料理長たちからは、『今日の予定数から考えるとそんなにいらないです』って意見もあったんですけど、とりあえず原価率は無視して、全部買って売ればいい、って僕が言うと、店側も売れ残って食材が劣化するのは嫌だから、一生懸命お客様に勧めるってことをできるようになってきて。そういういろんなスキルが身に付いたときに、『もったいないプロジェクト』のお話をいただきました」
広告代理店のエードット(現Birdman)、築地の仲卸・山治とMUGENの三社協業で誕生した『築地もったいないプロジェクト 魚治』では、規格外や傷があるなどで売れ残ってしまう魚介類を積極的に買い取り、日替わりメニューで提供。フードロスの削減にも繋がる画期的な取り組みとして様々なメディアで紹介され、MUGENを代表するブランドのひとつとなった。
【40代後半】腕のある料理人の才能を活かし、ミシュラン星付きを輩出
40代での挑戦はもうひとつ、鮨や天ぷらといった高価格帯の専門店業態を出店したことだ。自身の食体験から、高級業態への関心が高まっていた折に紹介されたのが、のちに『鮨 つきうだ』を任せることになる鮨職人の月生田光彦氏だった。
「居酒屋業態は、スタッフが入れ替わってもお客さんはついてきてくれるけど、カウンター数席しかないような大将ありきの鮨店は、絶対踏み入れちゃいけない領域、失敗パターンだと思っていたんです。だけど、実際に月生田さんにお会いしてみたら人柄もよくて、やりたいことで合致する部分も多かった」と内山氏。実力のある料理人と、店づくりや集客など自分たちのもっている知識やノウハウを合わせたらもっと成功事例が作れるのではないか。
そんな思いで、『鮨 つきうだ』をオープンした2年後の2018年。今度は天ぷら職人である宮代直亮氏と共に『天婦羅 みやしろ』をオープンし、2020年にはミシュランの一つ星を獲得するまでとなる。さらには、修業中の若い職人が実践経験を積める場として、『鮨 おにかい』を開業するなど、修業期間が長いとされる職人の世界に風穴を開ける取り組みでも、業界内外から注目を集めることとなった。
