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せんべろの聖地「立石」が再開発、「呑んべ横丁」の半数が立ち退きに。店主、住民らは何を思う?

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立石

立石の街を散策しながら、新しいまちづくりについて考える

葛飾区の京成立石駅周辺は、「せんべろの街」として区内外の人から親しまれてきた。「せんべろ」とは“1000円でベロベロに酔える”という意味で、リーズナブルな価格帯で飲食が楽しめることを表している。

立石は、大正時代からセルロイド工場の街として発展していったことや、荒川河川敷の工事で大勢の労働者が集まってきた時代背景があり、大衆向けの居酒屋が密集している。戦後はキャバレーや映画館、赤線、青線といった風俗も盛んであったため、街のいたるところにその風情が残っている。「昭和の雰囲気が漂う街」として映画やテレビドラマのロケでも使われる一方、狭い路地に古い木造住宅が密集していることから、地震での倒壊や火災事故での延焼のリスクが高く、駅周辺は再開発の計画が進んでいる。再開発は京成押上線を高架化する立体交差事業と連動しており、年内を目処に、「呑んべ横丁」の一部を含む線路沿いの建築物が撤去されることが決まった。

これを受けて、閉店する飲食店の関係者や立石住民らが集まり、9月14日に「呑んべ横丁祭り」が開催された。撤去間近の呑んべ横丁に別れを告げ、新しいまちづくりについて話し合う会である。そのレポートをお届けする。

立石のシンボル「呑んべ横丁」の看板

「この場所で50年やってこられて、幸せだった」

「下町の首都」といわれる立石の中でも特に歴史を感じさせる「呑んべ横丁」は、昭和28年、洋品店や金魚店など、何でも揃う商店街としてオープンした。徐々に居酒屋やスナックが増えていき、飲み屋街となった現在は、「東京のディープなスポット」としてメディアで取り上げられることも多い。

しかし、すでに工事が始まっている立体交差事業のため、線路際の店は移転や閉店を余儀なくされている。横丁内の半数の店はしばらく営業できるが、段階的に立ち退きとなり、跡地には葛飾区役所が建設される予定だ。1982年に開業した『知花子』のママ・夏井知花子さんは、店をオープンした35年前のことを振り返り、こう話す。

「子どもが3人いるから、家族にずいぶん反対されたけど『店をさせてくれないなら、離婚します』といって押し切ったの。呑んべ横丁に出店したのは、一人でやるのにちょうどいい広さだったから。開店のときから、いずれこの場所は立ち退きになると聞かされていたけど、いよいよその日が近づいてくるとなると寂しいわね。役所から言われている期限(9月30日)いっぱいまで営業する予定だけど、その後は引退してボーッとするつもり」 

この店の常連客の男性は「この店がないと、路頭に迷っちゃうよ」と苦笑。浦安から2週間に1度通っているという彼は、「葛飾区内で落ち着ける場所を探し続けて、2年かけてようやく見つけたのが『知花子』。お酒を飲まなくても心地よく過ごせて、ママに気を遣わずにすむころがいい。ここがなくなったら、どこに行こうかな……」とつぶやく。

知花子さんと常連のケンさん

同じく9月で営業を終了する横丁内の『伯爵』は開店から50年。ロックバンド・ゴールデンボンバーのポスター撮影のロケ地として使われたことがあるため、ファンが「聖地巡礼」として訪れることもある。

ママの加茂美都里さんは、「移転先が用意してあってポンッと移転できるならするけど。私はもう80歳前だからね。イチから物件を探すのは骨が折れるから、もう閉めちゃう。この場所で50年やってこられて、幸せだったわ」と微笑む。

9月で営業を終了する店の中には、「近所で営業できれば……」と口にする人もいた。しかし、同じように立ち退きで移転先を探している人も多く、予算面や立地で折り合う物件を見つけるのに苦労しているようだ。

『伯爵』のママ。この地で50年も営業してきた

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三原明日香

ライター: 三原明日香

編集プロダクションに勤務し、フリーライターとして10年以上活動。ふとしたことから労働基準法に興味を持ち、4年間社労士の勉強に打ち込む。2014年に試験に合格し、20年4月に開業社労士として独立した。下町の居酒屋で出されるモツ煮込みが好物。