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ホリエモン騒動の『四一餃子』に支援1,400万円。店主と家族を救った「命の手紙」

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シャッターの下に差し込まれた手紙の山

事件後、経験したことのない攻撃を受ける中、川端氏は絶望感に襲われたという。

「ネット見るのも嫌、人と会うのも嫌でした。警察に相談に行っても『もう少し被害が出たら来てください』と言われたり、弁護士さんの所に相談に行ったら『そんなことも知らないの?』みたいなことを言われ馬鹿にされたりで、落ち込みました。味方が誰もいなくて、『もう、店も終わったな』と思いました。その時は『家族みんなで死ぬのかな』というぐらいの感覚になりました」

ガランとした店内に一人残っている時に頭の中に「死」がチラついたという。その時、ふと店の入口の方を見ると、シャッターの下にいくつもの手紙が差し込まれているのに気がついた。「うわ、また、これ嫌がらせなのかな」と思い、手に取り、おそるおそる開いてみた。

シャッターの下に差し込まれていた手紙の山

手にしたのは嫌がらせなどではなく、激励の手紙の山だった。「頑張ってください」「負けないでください」「あなたたちは間違っていません。私たち応援しています」という文面に涙が溢れた。なかには、その時の川端氏の心の中を見抜くかのような文面もあった。

「生きてください」

「嬉しくて、本当に助けられました」と語る川端氏。その手紙を夫人に見せようとしたが、体調が悪く見られる状態ではなかった。しかし、しばらく経って読めるようになり、一度読んだ後は「手紙を読みながら泣きっぱなし」(川端氏)の状態だという。

“今、手紙をくれた人に何と言いたいですか”という問いかけに、「僕らの命を救ってもらってありがとうございますという、本当にそういう気持ちです」と答える川端氏の目から、涙がこぼれた。

手紙の話の際には川端氏の目から涙がこぼれた

冷凍餃子の通販と店舗再開への道筋「笑い話にしよう」

『四一餃子』は営業再開に向けて徐々にではあるが、動き出している。夫人はまだ仕事ができる状態ではないが、以前、店でアルバイトをしてくれた人が『四一餃子』の危機ということで年明けから働きに来てくれることになった。

まずはクラウドファンディングの支援者にリターンを届け、その後、冷凍餃子の通販、店舗再開という手順を考えている。

川端氏は4年前に大病を患い半年間寝たきりになり、2年間の闘病生活が続いた。店を閉めるしかないと思った時に「私が店をやるから、あなたは病気を治して」と言って店を切り盛りしたのが夫人である。今度は自分が店を救う番との思いがあるという。

最後に、今回の事件は自身やご家族の人生にとって、『四一餃子』にとってどんな位置付けになるのか聞いてみた。川端氏は少し考えてから、静かに答えた。

「生きていたら、もう笑い話になると思います。人間は3年経ったら忘れるじゃないですか。3年経てば妻も元気になってくれると思いますから、とにかく生きて、笑い話にしようと。だから妻には言っています。『これだけ応援してくれる人がいて、僕らを生きていけるようにしてくれたんだから、頑張ってお返ししようぜ』とね」

川端眞一(かわばた・しんいち)
1973年生まれ。高校卒業後、専門学校に進学も中退。アルバイトなどを続けながら、30歳の時に飲食業界に入り、フランチャイズ店経営などを経て2009年10月10日に『四一餃子』を開店した。

『四一餃子』
広島県尾道市。自家製の皮を使用して、注文が入ってから包み焼き上げる一口餃子が人気。キャベツと豚肉の旨味たっぷりで、2018年には広島・愛媛版ミシュランに掲載された。店名は、店主の名前(眞一=4+1)と、店主が大好きだった祖母の誕生日が4月1日だったことに由来する。

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松田 隆

ライター: 松田 隆

青山学院大学大学院法務研究科卒業。ジャーナリスト。スポーツ新聞社に29年余在籍後にフリーランスに。「GPS捜査に関する最高裁大法廷判決の影響」、「台東区のハラール認証取得支援と政教分離問題」等(弁護士ドットコム)のほか、月刊『Voice』(PHP研究所)など雑誌媒体でも執筆。ニュース&オピニオンサイト「令和電子瓦版」を主宰:https://reiwa-kawaraban.com/