「海外でシェフとして生きること」シンガポールで活躍する2人の日本人シェフの挑戦(前編)

『ホワイトグラス』の料理
40席のダイニングにゲスト1組
「英語は全く話せませんでした。でもフランスに修業に出たときもフランス語は何とかなったし、英語は中学・高校で6年間勉強していますから、フランス語に比べたら馴染みはある。ただ、フランスのときと事情が違うのが、今回はシェフが自分であること。自分が英語でスタッフに指示を出さなければならないんです」
開業当時、日本人は山下さん1人で全員が現地スタッフ。山下さんは、これまで話したことのない英語でスタッフを束ねて店をやっていかなければいけないという、初めての事態に直面した。
「シェフ就任当初は暇でした。1日1組か2組。店はそれまで半年間休業していましたから、『ホワイトグラス』は閉店したと思っている人も多く、また、日本から誰も知らないシェフが来たって引きもないんです。40席あるダイニングにゲスト1組みだけみたいな日が続くと、スタッフも怠惰な人が集まってくるんです。彼らは始業時間に来ないし、来ても気がつくといなくなっていたりする。せっかくここまで来たんだから絶対成功させたいと思っていたので、そんな事態になったのはきつかったです。
少しでも経営の助けになればとイベント会社に仕事を持ちかけたら、足元を見られて、ありえないようなマージンを提示されたこともありました。そのときは相棒に『ホワイトグラスはこの先絶対忙しくなる店なんだから、その時に“なんでこんな契約しちゃったんだろう”と思うようなことは絶対やらない方がいい』と言われて、我に返りました」
行き詰まっていた店が上向いたのは、現ジェネラルマネージャー、ヴィンセント・タンさんの就任だった。
「彼は海外店の立ち上げ経験が豊富で、自分のコネクションを持っている人です。そんな彼がうちに食事に来てくれたんです。『ホワイトグラスは料理は良いけどサービスがひどい』という噂を聞いていたそうで。
その後、うちで働いてくれることになったのですが、ヴィンセントが出勤した初日、既存のサービススタッフは全員辞めました。彼が入ってきたらもう好き勝手ができないとわかっていたんです。ヴィンセントは初日いきなり1人で、どこに何があるのかもわからない。すごいなと思ったのは、彼はそれがわかった瞬間、いきなりあちこちに電話し始めたんです。昔の同僚やほかの店のマネージャーを呼んで、1時間後には2人来ました。その後もヴィンセントが新しいスタッフを呼んできて、今のサービスチームを作ってくれました。
彼が入ってから店も忙しくなってきたんです。2回目に来てくれるお客さんが増え始めて、チームも経営も安定しました。以前のメンバーと今のメンバーはもう全員違います。そして今では40席が埋まるようになりました」
