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三軒茶屋『あかんぼ』を坪月商35万円に導いたコロナ禍の「業態転換」【連載:居酒屋の輪】

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飲食業に携わり15年以上。紙質からして年代物だが気持ち的には居酒屋ビギナー

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“お子さま”の自分を成長させてくれた三軒茶屋という街

そもそも、アパレル業を営んでいた武居さんの実家は三軒茶屋駅のすぐ近く。武居さんが本物のお子さまだった今から30年以上前、まだ地域一帯は住宅地であり「昭和女子大学の最寄り駅」といった程度のイメージだったという。

1996年にはランドマークであるキャロットタワーが誕生するなど再開発は進むが、武居さんが成人を迎えた2006年になっても、駅前の居酒屋はまだまだチェーン店ばかり。そんな状況で誕生した『料理人のいる魚屋 ガシラ』は、武居さんにとって思い出深い店となった。

「大学時代、地元のパン屋でアルバイトを始めて飲食業の楽しさに目覚めたのですが、そこは閉店していまい……。友人の紹介で『料理人のいる魚屋 ガシラ』のホールスタッフとして働くことになりました。あの店にはお客としても頻繁に通っていましたね」

地元の食文化の発展を間近で見てきた武居さん。壁のショップカードも顔の広さを物語る

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大学卒業後は家業を継ぐことも視野に入れていたそうだが、リーマンショックの影響で経営が行き詰まり断念。アルバイト先であった『料理人のいる魚屋 ガシラ』の運営元、有限会社ユニバーサルキッチンに就職を決めた。

「代表が『飲食店に籍を置いているだけでは給料は上がらないよ』と断言するなど、独立志向の強い会社でした。その上で『独立するために何が必要か』というノウハウを叩き込まれましたが、当時の僕は独立するつもりがなく『何のこっちゃ?』と思っていました(笑)。今になって振り返ると従業員思いの会社ですよね」

親交があるお店からのご祝儀袋などを壁に掲げ、日々感謝を忘れない

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『料理人のいる魚屋 ガシラ』には、アルバイトと社員の期間を合わせて7年以上も在籍。社員になってからは接客だけでなく調理の腕も磨いたという。

「料理の基礎を教えてくれた当時の先輩は、ずば抜けて技術の高い方でした。現在は新丸子『酒場 雷電』や中目黒『味のごんどう』を経営している中谷卓矢さんです。中谷さんの独立後も3年ほど一緒に働いていたので付き合いは10年以上。本当にたくさんのことを学びました」

武居さんが料理人としてのキャリアを積む中、三軒茶屋にはクオリティーの高い料理を提供する居酒屋が次々に誕生したという。「料理が美味しいのは当たり前になり、ちょっと足を伸ばせば世界各地の料理まで楽しめるようになりました。そんな中で他店と差別化を図るなら人間力というか……僕の場合は店主やスタッフの人柄でお店を選ぶんですよね」と、居酒屋でリピーターを獲得するためには「人間力が重要」だと考えるようになった。

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佐藤 潮.

ライター: 佐藤 潮.

ミシュラン三つ星店から河原で捕まえた虫の素揚げまで、15年以上いろいろなグルメ記事を制作。酒場系の本を手掛けることも多く、頑固一徹の大将に怒られた経験も豊富だ。現在、Webのディレクターや広告写真の撮影など仕事の幅が広がっているが、やはりグルメ取材が一番楽しいと感じている。