2か月先まで予約が埋まるおでん店『関西煮 理』。50代で三重から中目黒へ移転、そのワケとは?
三重県津市で30年愛された『おでんのオサム』が、2022年10月に『関西煮 理』として東京・中目黒に進出。食通の間で話題となり、オープンから1年で2か月先まで予約でいっぱいの人気店となった。繁盛の理由は名物のおでんだけでなく、中目黒ならではの仕掛けもあるという。店主の加藤理さんに、三重時代の話から東京進出の経緯、店づくりの工夫を伺った。
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ロスが出ず一人でお店を切り盛りできる「おでん屋」に目をつけ『おでんのオサム』を開業
三重県津市で生まれた理さんは、料理人を目指し高校卒業後に大阪の辻調理師専門学校に進学。卒業後は大阪の阿倍野にある関西割烹『和源』で3年間修業をしながら、給料を全て使い、大阪中を食べ歩いた。今から30年ほど前、関西煮おでんの店『おでんクラブ』(現在は閉店)との出合いが理さんの運命を変える。
「おでん一本で年中営業していることに衝撃を受けたんです。当時は吟醸酒ブームもあり、そのお店には全国の地酒が置いてあったのですが、地元の三重には久保田や八海山などの人気銘柄が置いてあるようなお店はなかった。おでんと日本酒のお店を三重でやれば流行ると思ったんです」
さらにおでん屋の場合、仕込みさえしっかりしておけば、一人でオペレーションを回せること、食材ロスがほとんど出ないことも理さんを惹きつけた。元々一人でお店をやりたいと考えていたため、専門店のおでん屋はうってつけだったのだ。
そこから理さんは両親に、実家の一角を借りてお店を開きたいと交渉。師匠と慕う『和源』の大将も「こいつならやれます。もしダメだったらウチで面倒を見るので、お店をやらせてあげてください」と交渉してくれ両親も承諾した。
当時22歳だったため父に1,200万円を借金してもらい、『おでんのオサム』を三重県津市の大門地区という繁華街に開業。丹念な仕込みによるおでんのレベルの高さに加えバブルの名残もあり、オープン後数年は大繁盛した。夕方から朝方まで営業し30席で年間4,000万円を売り上げ、借金も1年で返済できたという。その後バブルの名残もなくなり売上は徐々に下がっていったというが、年間売上2,000万円はキープしていた。
