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坪月商30万円を売る『韓国スタンド@』。名物「蔘鶏湯」を武器にグルメ激戦区で人気店に

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SOME GET TOWN代表の山崎一氏

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4年連続でミシュランガイドのビブグルマンを獲得している『韓国食堂 入ル(イル)』をはじめ、大阪、京都、東京で計8店舗の韓国料理業態を展開するSOME GET TOWN。2022年11月4日、学芸大学にオープンさせた初の立ち飲み業態『韓国スタンド@(アットマーク)』も、さっそく人気を集めている。

代表の山崎一氏の母親である朴三淳氏直伝の「朴三淳の蔘鶏湯」を4分の1サイズで提供するなど、おひとりさまでも楽しめるメニューの数々が評判だ。そこで今回は、小ポーションによる立ち飲み業態の可能性について山崎氏に伺った。

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韓国女性で初めて国家調理技能試験1級を取得した朴三淳氏創業の『韓味一』がルーツ

SOME GET TOWNのルーツを語るには、まず山崎氏の母・朴三淳氏について紹介する必要があるだろう。1941年に大韓民国忠清北道 永同(現永同郡)で女6人男1人の三女として生まれた朴三淳氏。朝鮮戦争という厳しい時代を経て、18歳で地元の食堂で料理の勉強を始め、25歳でソウルに移住。当時唯一の料亭であった『三清閣』で働き始める。

その後、27歳で最年少副料理長に就任し、28歳の時には韓国の国家試験である国家調理技能試験1級に国内女性で初めて合格する。転機となったのは35歳。大阪・道頓堀の『新羅会館』の初代料理長として招聘されたのだ。その後1978年、38歳の時に大阪・鶴橋で韓国料理専門店『韓味一』を創業し、40年以上多くの人々から愛されてきた。

その後、息子である山崎氏が2012年に『韓味一』の二代目として事業を継承する。

山崎氏の姉も元々蔘鶏湯の通信販売をしていたが、妊娠・出産を機に離れてしまったという

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「元々会社員として働いていたのですが、同僚と食べに行った韓国料理があまり美味しくなくて。母と折り合いが悪く一度は家業から離れたものの、やはりこの味は残すべきだと感じ、再び家業に戻り、事業を継ぐことにしました」

『韓味一』を継いでみると、お客が朴氏には言いづらいことを山崎氏に話してきたという。それは「トイレを洋式にして欲しい」「駅から遠い」「量が多い」ということだった。この3点を叶えるお店として2013年、大阪・福島に開業したのが“こんな韓国料理屋があってもええやん!”をコンセプトにした『韓国食堂 入ル』だ。前菜や朴三淳の蔘鶏湯を一人前からアラカルトで楽しめるとあり、人気を博す。

その後、山崎氏は2017年に大阪・靱本町で『韓味一 朴邸』を、2019年には東京・恵比寿に『韓国食堂 入ル 坂上ル』を、2020年に京都・烏丸御池に『韓国食堂 入ル ゴショミナミ』を、2021年に『韓味一』本店の跡地に日本初の蔘鶏湯御膳専門店である『蔘鶏湯 人ル』と続々オープン。大阪と東京、それぞれのミシュランガイドで「韓国食堂 入ル」がビブグルマンに選ばれるなど、SOME GET TOWNは全国的に注目を集める企業へと成長する。

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中森りほ

ライター: 中森りほ

グルメ系ウェブメディアの編集・ライターを経てフリーライターに。フードアナリストの資格を持ち、現在マガジンハウス『Hanako.tokyo』や徳間書店『食楽web』、ぐるなび『dressing』、日経『大人のレストランガイド』などで飲食店取材記事や食のエッセイを執筆中。