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フランス料理『エラン』信太竜馬さんの3店舗経営にみる、「人のつながり」が持つ力

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『エラン』のシェフ・信太竜馬さん

人気のあるレストランの姉妹店の開業が相次いでいる。イタリア料理店から派生したピッツェリア、レストランの不定期イベントが独立して店舗になるなど、すでに実績や人気のある既存店を核に、人員や食材調達、店舗経営のノウハウなどを生かして出店する店が多い。

そのなかで『エラン』は、ガストロノミーレストランに加え、同フロアにビストロとカフェの3軒をほぼ同時に開業するというユニークなスタイルでも注目を集めている。3軒を束ねるシェフ信太竜馬さんは33歳。『エラン』の開業が初めての独立だ。なぜ3軒を同時に展開することになったのか、また、開業がコロナ禍に重なり、多くのスタッフとどのように乗り越えてきたのかを、信太さんに聞いた。

マイナスからの再出発

『エラン』が入るビル、GYREのフロア全体の内装は、建築家の田根 剛(たねつよし)氏が手がけている。土のような素材や緑を多用した有機的なテクスチャーが特徴的な内装だ。循環というテーマをイメージしているという。

「同じフロアに同じコンセプトで開業させたのは、ビルオーナーの意向です。別業種のテナントの集合体ではなく、連続性のあるフロアにするのが希望でした。それで、1フロアまるごと引き受けて、業態の異なる3軒にして振り分けることになりました。まず先に『ボネラン』の前身となるビストロと『ユニ』の前身となるバーの2軒を2019年末にプレオープンさせ、そのあとに『エラン』とともにグランドオープンさせました」

『エラン』のダイニング。天井まで大きくとった窓から見えるビル群の明かりが魅力的だ(写真提供;エラン)

『エラン』の開業は2020年1月。その後の経過は、信太さんをはじめ、店に関わる全員の運命を大きく変えることになった。開業して3か月後の2020年4月には、コロナウイルスのまん延防止のために都内のレストランで自主休業を始める店が増える。『エラン』ももちろん無関係ではいられなかった。信太さんとともに開業に携わった共同経営者が突然撤退したのだ。

「ある日突然、『3日後に会社を解体します』と言われました。『閉めたいのですが』ではなく、『閉めます』でした。彼の独断で会社解体も出来る状態でした。彼と私との間には経営に対する温度差がありました。出資してお店を経営していきたい彼と、プレイヤーとして実際に料理を作っていきたい私と。それは待ってくれ、ということで、1か月かけて新規事業を立ち上げ、6月からは私の経営でスタートすることになりました。スタッフはいったん全員解雇です。私はそれまで、経営者としてお金を管理する余裕がありませんでした。独立するというのは普通ならゼロからの出発だと思うのですが、最初から赤字、マイナスからの出発でした」

当時の従業員は『エラン』だけで9~10人。あとの2店のスタッフも加えるともっと多かった。1フロア3業態の展開は、幅広い食材を使えるなど効率の点でメリットがあるが、コロナ禍のような緊急時には、その母体の大きさが足かせとなった。

「今後の経営について、ビルのオーナーサイドとも相談しました。これから私一人の経営でどこまでできるかを考えたときに、『エラン』以外の2店舗は、いったんは手放してほかの資本を入れようとなった。しかしフロアを分割すると、このビルのテーマである循環性やワンフロア・ワンコンセプトという方針が崩れます。また、入居テナントとしてすでに功成り名を遂げた人や企業ではなく、若手を応援していきたいという希望があったんです。ビルのオーナーさんからも『信太くん、じゃあがんばろうか』と言われて。それで、また一人で3店舗手がけることになりました。

スタッフは、いったん解雇した人のなかで、またやりたいと言ってくれた人たちがいました。私が経営まで全部を管理することになり、色々なところを見直しました。専有面積はなるべく減らしたい。たとえばこのフロアのお手洗いはレストラン以外の人も使用していたので専有面積から外してもらったり、使えなくなっていたロッカー室も外してもらったりしました。そしてしばらくのあいだ、家賃は特例措置の対応にしてもらいました」

信太さんたちがコロナ禍で時短要請中に最初に行ったのは、パンのデリバリーだった。

「仕事していないと、私自身もスタッフも腐るというか、モチベーションがなくなります。とにかく仕事して身体を動かしたかった。レストランは開けられないけれど、まずカフェだけ開けて、『じゃあパン作る?』みたいな。楽しかったですよ。ビジネスとして十分かどうかは別として、一人当たりの日銭は稼げる。料理はもちろん、パン作りも妥協したくなかったので、ハード面では最高のものをそろえていました。

生産者さんの農作物はどんどん育つので、出荷を止めることはできません。だけど私たちは、そういう食材を集めて料理を作り、売ることができる。すべてが手探りでした。それをずっと続けていれば経営もいつかはうまくいくだろうと。再スタートにあたり決めていたことは、支払いが滞ったらすぐにやめる、ということです。信用はなくしたら終わりですから。人付き合いは本当に大事です。

共有部分になる前、お手洗いは清掃代の請求を削減するために自分で掃除していました。率先してというカッコイイものではなく、やらざるを得なかったからやっていました。やれることは自分で何でもやりましたね」

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うずら

ライター: うずら

レストランジャーナリスト。出版社勤務のかたわらアジアやヨーロッパなど海外のレストランを訪問。ブログ「モダスパ+plus」ではそのときの報告や「ミシュラン」「ゴ・エ・ミヨ」などの解説記事を執筆。Instagram(@photo_cuisinier)では、シェフなど飲食に携わる人のポートレートを撮影している。