坪月商45万円の赤羽『酒呑中華コテツ』。働きやすさ追及し“味”と“数字”を両立【連載:居酒屋の輪】
経営者の今も活きている料理人としての経験
祖母が飲食店を開いていた影響で、子どもの頃から料理を作るのが好きだったという横村さん。居酒屋でバイトしながら調理師専門学校の高度調理経営科に通い、卒業後は豆腐料理専門店、旅館の住み込み料理人、韓国料理店、タイ料理店など幅広いジャンルで経験を積んできた。その価値観を大きく変えたのが、赤羽の人気居酒屋『佐藤商店』で働いた経験だった。
「若いうちに様々なジャンルの飲食店で経験を積みたいと思っていたんですが、『佐藤商店』で働いて考えが変わりました。安く飲める店が多い赤羽のなか、おしゃれな内装で料理のクオリティも高い。その一方で、居酒屋ならではの経営を軸とした考え方にも強く惹かれたんですよ」
それまで横村さんが働いてきた飲食店は料理の味を軸にして経営を考えていたが、居酒屋業態は経営が軸。その上で薄利多売ではなく、味と数字を両立させる経営手法に感銘を受けた。
学生時代、料理人か数学教師で将来の進路を悩んだこともあるという横村さん。その経営者としての資質を見込まれたのか、2014年の入社から2ヶ月ほどで『佐藤商店』の店長に抜擢された。経験豊富な先輩や常連客に可愛がられながら、経営に関するノウハウを学び、系列のもつ焼き店『闇市』を経て、2017年に系列店『中華屋台 雷電』を立ち上げる中心メンバーとなった。
「赤羽で『競合店がいない居酒屋』を考えたとき、思い浮かんだのがタイ料理でした。そこで以前タイ料理店で一緒だった飯倉さんに声をかけたんですよ。そうして本格的な中華とタイ料理を売りにした『雷電』が誕生し、経営も軌道に乗ったのですが、コロナ禍の影響で閉店に……そこで、当時の代表から許可を得て業態を引き継ぎ、独立することに決めました」
店舗の名前も場所も変わったが、道行く『中華屋台 雷電』時代の常連客を見つけては、積極的に声をかけたという横村さん。そこからの紹介の輪も、オープン直後から経営が軌道に乗った要因であり「経営は数字も重要ですが、やっぱり人が大切。居酒屋は人でしかない」と話す。
