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最盛期は年商2億円超え、伝説のもつ焼き店『秋元屋』。秋元宏之氏の「成長を止めない店作り」

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創業者・社長である秋元宏之氏。今年で65歳となる今でも現役である

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もつ焼き店には「秋元屋系」と呼ばれている系統がある。その元祖が、東京・野方のもつ焼き店『秋元屋』。最盛期は3店舗経営で年商2億円超え、コロナ禍の影響残る昨年も年商1億4,500万円をキープしている、もつ焼き界の「レジェンド店」である。野方という閑静な住宅地で、いかにして伝説の酒場が生まれたのか。創業者である秋元宏之氏に話を聞いた。

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修業開始から約1年、野方の路地裏で静かに始まった「もつ焼き伝説」

若い頃の秋元氏は会社勤めをしたことがなく、「フリーターのような生活を送っていた」という。下町大衆酒場の飲み歩きを趣味とするうちに、懇意にしていた酒場の店主の紹介でもつ焼き店を手伝うことになる。その店は味噌ダレを使った串物が人気で、このタレを使ったもつ焼きを自分の店でも出せば評判になるのではと秋元氏は考えた。

「手伝い始めて2、3か月後には、もつ焼き店の店主が『基本は教えたから、お店をやりたいならもう物件を探した方がいいよ』って言うんですよ。焼き方もほとんど覚えてないのに。そしたら『完璧になってからお店をやるのもいいけど、やりながら上手くなっていくのも楽しいよ』と言われて、そうかと思い物件探しを始めました」(秋元宏之氏、以下同)

馴染みのある中野・高円寺エリアを探しても条件の合う物件はなかなか見つからなかった。希望は小さな路面店だったというが、どのような考えがあったのか。

「最初から大きな店をやって、思ったほどお客さんが来なかったら、人件費も家賃もかかってすぐにつぶれる。小さなお店で始めて、客が入りきれなくなったら評判になるし、その時に拡大を考えればいい。今でもそれが健全な店の育て方だと考えています」

野方駅そばの裏通り、駅近らしからぬたたずまい

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現在の店舗は、飲み帰りに偶然通りかかって見つけたという。駅の近くとはいえ、閑静な住宅地、そして裏通りである。仲間には「野方じゃ絶対失敗する」と言われていたが、複数の駅から数キロ圏内でもあるその立地に勝算を感じ、内見をして即決した。

家賃10万円、10坪ほどの店内に、13席のコの字型カウンターを設置。かかった開店資金は「500万円もいかないくらい」だった。店に立つのは秋元氏とスタッフ1名。修業開始から約1年、2004年2月に『秋元屋』は開業した。

映画「居酒屋兆治」に憧れて設置したという味のあるコの字型カウンター。CMやドラマの撮影に使われることも

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「最悪の煮込み」からスタート。成長とともに売上が伸びていく

開店にはこぎ着けたが「やりながら上手くなっていく」段階からのスタートである。客の立場として「いい店」を知っているものの、煮込みの作り方すらおぼつかない。

「最初の煮込みは、伝説的にまずかったと思います(笑)。作り方も適当で、こんなもんだろうと具材や味噌を入れていました。知り合いにも『人生で一番まずい煮込みだった』っていまだに言われますよ」

やる気は十分、味は“最悪”。初月の売上は休みなく働いて120万円だった。店に来てくれる友人や、同業者のアドバイスを受けつつ、試行錯誤しながらの営業を続けた。知識ゼロから肉の仕入れ先を探し、馴染みの店に通い串打ちを見て覚える日々。向上心を持ち続け行動する秋元氏の「成長」とともに、売上は徐々に伸びていく。10万円ずつ売上が増えるのが「50か月ほど続いた」という。

“最悪”から、進化を続けてきた煮込み400円。意外とさっぱりとした味わいで、素材の良さが感じられる

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小さな店には次第に客が入り切らなくなり、その評判がさらに客を呼ぶ。最盛期は隣にある公園にまで客がはみ出す勢いだった。営業を続けるうち、空いた隣の物件を借り、店舗を拡大。支店もでき、『秋元屋』の人気は揺るぎないものになっていく。創業20年目の現在、本店の月商はコロナ禍の影響も残り800万円ほどだというが、2019年以前は月商1,000万円以上をコンスタントに記録していたという。

向かって左が創業当時からの店舗スペース。隣の店舗が空いたのを機に2軒分の広さに

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髙松 孟晋

ライター: 髙松 孟晋

女性誌やグルメガイド系の雑誌・MOOKを中心に、カルチャー誌・音楽誌などで活動してきたサブカル世代の多様性担当ライター。おいしいものとインターネットが大好き。