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渋谷に復活した『富士屋本店』、再開発で激動する街で「正直な酒場」を貫く

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株式会社ダイニング富士屋本店の代表取締役の加藤賢一郎氏

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1883年(明治16年)に渋谷の地に創業した酒販店『富士屋本店』。1971年には自社ビルの地下に二代目が『大衆酒場 富士屋本店』をオープンし、渋谷界隈の立ち呑みカルチャーを牽引し続けてきた。

そんな老舗が100年に一度とまで言われる渋谷の大規模再開発の影響もあり2018年10月に惜しまれつつ閉店。2022年11月24日に『立呑 富士屋本店』として新たなスタートを切った。富士屋本店グループの歴史を振り返りつつ、『立呑 富士屋本店』としてリスタートした経緯、「100年に一度の渋谷の再開発」をどう感じているのか株式会社ダイニング富士屋本店の代表取締役であり、四代目の加藤賢一郎氏に話を聞いた。

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『立呑 富士屋本店』外観

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『大衆酒場 富士屋本店』からスタートし、
5店舗・年商5億円を売り上げる飲食企業になるまで

曽祖父が酒販店『富士屋本店』をスタートし、祖父が『大衆酒場 富士屋本店』をオープン。それを父から受け継ぎ、現在は渋谷だけでなく三軒茶屋や浜町などで5店舗を展開するダイニング富士屋本店の加藤氏。企業年商は約5億円に上る。

加藤氏は大学を卒業後、飲食未経験の状態で家業に入り、当初は加藤氏の父が始めた『鳥ハゲ』(現『和食 富士屋本店』)に配属された。次第に「自分の居場所を作りたい」「バブル崩壊後に余ってしまったワインをどうにかしたい」と思った加藤氏は、入社半年後に『富士屋本店ワインバー』(2018年に『ピッツェリアアルフォルノ』と統合)をオープンさせる。

オープン数年は鳴かず飛ばずだったが、飲食関連のビジネススクールに半年通い経営のノウハウを身につけ、さらに2004年ごろから立ち呑みブーム、ワインバーブームが到来し、オープン2年後から繁盛し始めた。

その後2009年には三軒茶屋の釣り堀跡地で『富士屋本店グリルバー』をオープンさせこちらも堅調な売上を誇る。この勢いに乗り、2012年に広尾でビストロ『イロンデル』をオープンさせるが、初となるレストラン業態に悪戦苦闘し1年で閉店してしまう。「それまでは新店をオープンさせればお客さんが来てくれていたので、天狗になっていましたね。酒屋ならではの酒場という原点に立ち返る転機にもなりました」と加藤氏は当時を振り返る。

それまで東京23区の西側エリアでしか出店してこなかった同社だが、日本橋浜町エリアの街づくりを手がける安田不動産から熱烈オファーを受けたことを機に、2015年に『富士屋本店 日本橋浜町』をオープンさせた。サラリーマンが多い渋谷とは異なり、浜町は近隣住民の利用率が高く、客単価も現在では6,000〜7,000円と高単価で推移している。

また、三軒茶屋の釣り堀が老朽化したことにより『富士屋本店グリルバー』は立ち退きを命じられ、食の複合施設とも言える『GEMS三軒茶屋』に移転オープン。その後、渋谷の再開発が決まり、2018年に『大衆酒場 富士屋本店』をはじめ、『洋食 富士屋本店』、『富士屋本店ワインバー』など再開発エリアに立地する店舗が閉店、移転、休業を余儀なくされ、酒屋の店舗も無くした。

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中森りほ

ライター: 中森りほ

グルメ系ウェブメディアの編集・ライターを経てフリーライターに。フードアナリストの資格を持ち、現在マガジンハウス『Hanako.tokyo』や徳間書店『食楽web』、ぐるなび『dressing』、日経『大人のレストランガイド』などで飲食店取材記事や食のエッセイを執筆中。