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能登半島地震、輪島で炊き出しを続ける『ラトリエ ドゥ ノト』シェフ池端隼也さんの「今」

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炊き出しをする池端隼也さん(写真提供;重蔵神社)

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2024年1月1日、北陸を襲ったマグニチュード7.6の能登半島地震。ライフラインが寸断され、住民は避難生活を余儀なくされている。

石川県輪島市では震度6強を観測、観光名所でもある朝市通りでは多くの店舗や住宅が打撃を受けた。その渦中にあるシェフは現状をどのようにとらえているのか、現在の、また今後の支援はどうあるべきなのか。フレンチレストラン『ラトリエ ドゥ ノト』のシェフ・池端隼也さんに聞いた。池端さんは現在、避難所で被災者のために炊き出し作業を行っている。

電気自動車で「どん兵衛」をふるまった元日の夜

「今、炊き出しを1,500~1,600人分くらいやっています。食材調達をバックアップしてくださる方がいて、食材は毎日か、2日に1回ぐらいは入って来ます。今、ここに残ってるのは、高齢者がほとんどです。同級生の医者の忠告もあって、野菜たっぷりで、薄味で、ビタミンとタンパク質が摂れる料理を作っています」

自らも被災した池端さんの最初の「炊き出し」は、初日の夜に帰宅困難者300名にふるまう「どん兵衛」だった。

「地震が起きたとき、僕は車を運転中で、スタッフと初詣に行って輪島に帰る途中だったんです。そしたら、穴水町のあたりで、道が、バキバキ、バキバキって割れ始めて、輪島に帰れなくなりました。近くに穴水消防署があって、ペットボトルの水やカップ麺が備蓄されていたんです。電気も水道も止まっていて辺りは真っ暗だったんですけど、たまたま僕、電気自動車に乗っていたので、とりあえず、消防署からケトルを借りてお湯を沸かして、どん兵衛をみんなに作ったのが最初の夜でした。その時集まったのは、道がダメになって僕みたいに車を動かせなくなった人とか近所の人とか、300人ぐらいだったと思います」

家族の無事を確認し、翌朝、輪島市にたどり着いた池端さんが見たものは、大きく損壊した自分の店だった。『ラトリエ ドゥ ノト』は築約100年の、輪島塗の塗師の家を改装した2階建ての日本家屋で、奥には重厚感のある蔵も併設されていた。

『ラトリエ ドゥ ノト』中庭。(写真提供;池端隼也さん)

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「店までは道路がひどいので車では行けなくて歩いて行きました。一階も二階も蔵も全部潰れてて、調理場も、100kg以上あるオーブンがひっくり返っていたぐらいひどかった。作家さんの皿とか取り出したいんですけど、いつ崩れるか、もう、入ると危ないと言われています。余震がまだすごいんですよ。昨日の夜も震度5だったですね。でも、もう震度5でも全然余裕。慣れてしまいました。

輪島は上水道とも全部やられてます。マンホールとかボンって道路の上に出てしまっているから、あれ、復旧に多分1年、2年じゃ効かないと思うんですよね。だから今炊き出ししている施設にも水道は来てないです」

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うずら

ライター: うずら

レストランジャーナリスト。出版社勤務のかたわらアジアやヨーロッパなど海外のレストランを訪問。ブログ「モダスパ+plus」ではそのときの報告や「ミシュラン」「ゴ・エ・ミヨ」などの解説記事を執筆。Instagram(@photo_cuisinier)では、シェフなど飲食に携わる人のポートレートを撮影している。